そしてわたしは無職になった #2


異動先は、H市だった。
当時わたしが勤めていた会社は
O市が本社の広告制作プロダクションなのだが、
H市には小規模の支社があり
大手広告代理店内に出向というかたちで
デスクを置いていた。

比較的若くて体力のある下っ端だったせいか、
H支社の仕事がなぜかよく回ってきて、
その度にH市へ出張していた。

その頃のH支社は、
出向先の代理店と組んで
大きめなコンペに立て続けに参加していた。
コンペに通ってそのまま実作業に入ったりしたら、
滞在先のホテルはおろか
O市の自宅に帰るなんて到底できず、
出張中に次の出張が決まって、
トータルで月の半分以上を
H市に滞在したこともあった。

独身で一人暮らしだったから
自宅を空けることには何の問題なく、
週末はO市に帰ってジェンべを叩けていたから、
不満もなかった。

H支社の新人かと思われるくらい
そこら辺をウロウロしていたため、
仕事の帰りに飲みに誘ってもらえることも
しばしばで。
連れて行ってもらった先で食べたお好み焼きが
あまりにも美味しすぎて、
H市の人はこんな美味しいものを
いつも普通に食べてるのかと、
心底うらやましかった。

しかし会社はそんなに甘くはない。
「ホテル代も新幹線代もかかって効率が悪いから、
いっそのこともうH支社で仕事したら?」
という理由で転勤が命じられた。

転勤に対しては、特に何の疑問もなく
年棒大幅アップと住宅手当、
あとはお好み焼きに釣られて
すんなりと受け入れた気がする。

ただ、Yさんの教室に通えなくなるのが
ものすごく心残りだった。

わたしにとってYさんの教室はすでに、
ジェンベを叩きたい欲求を満たしてくれる場所
というだけじゃなくなっていた。

ジェンベ仲間がいて、みんなで叩いて、
ただのお稽古事を超えて、
仕事漬けの日常でボロボロになった
やじろべえ状態のわたしをつなぎとめてくれる
大切な居場所だった。

そこから離れてしまって、
わたし大丈夫かな?
それを考えると不安で仕方がなかった。

「ジャンベをやってる人はだんだん
増えてきてるから、H市にもきっといるよ。
友達を見つけて
むこうでもジャンベを叩きなさい。
それでもダメだったら、
いつでも帰ってくればいいんだから。」

引っ越し前に教室仲間が
Hくんの天ぷら屋さんで送別会を開いてくれて
その時に酔っ払ったYさんが
さみしくてくじけそうなわたしの気持ちを
察して何度も言っていた。

そうだよね、大丈夫だよねYさん。
引っ越ししても叩けるよね。

この時はわたしも、
H市でも新しいジェンべ仲間と一緒に叩くんだと
思っていたんだけれども。

その考えは甘かったことに、
引越し後すぐ気づくことになる。

そして、Yさんを通じて知り合った
ドラマーのTくんがH市出身で、
H市内でパーカッション教室をされている方の
連絡先を教えてくれた。
「ここは主にコンガの教室だけど、
もし困ったことがあったら連絡してみて。
めちゃくちゃ頼りになる先生だから。」

これ。これはね、
本当にそうだったよTくん!という日が
間もなく訪れるんだよなぁ。
しかもスーパーミラクルな出会い方で。
だからジェンべっておもしろい。
人と人とを引き寄せる、
不思議なパワーがあると本当にそう思う。

Yさんに送別の品としていただいた陶器の小さな鉢。
なにせ鉢のサイズが極小なので、
中身は何度も植え替えたりしつつ、
最近は多肉植物の住み家となり、
玄関先で家族の帰りを待ってくれています。

H市にきてから何度も引越ししたけれど、
それでも変わらず、
部屋のどこかにいつもさりげなくあった鉢。
目に入るとやっぱりYさんのことを思い出します。

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