叩きたくてたまらない #4


Yさんのジャンベ教室は、
毎週日曜の朝10時からだった。

わたしは週に一度のその教室に
通うようになった。

今思えばその90年代後半の時代って、
ジェンべが日本の大きめな都市で
徐々に広まり始めた頃。
でも今みたいにSNSとかないし
ホームページも一般的じゃなく、
テレビなどマスメディアの力が
今よりもっともっと強かった時代で。
もしあの頃、みの○んたが自分の番組で
「ジャンベを叩くと健康になる」なんて
言ったとしたら、
ギニアから木がなくなっちゃうぐらいに
ジェンべが大ブレイクして、
恐ろしいことになってたかもしれないなぁ、なんて。

でも幸いにもそうじゃなかったので、
興味のある人や始めたばかりの人がそれぞれ
決して多くはない叩ける場所を必死に探して、
徐々にそこに集まり始めたタイミング
だったように思う。

わたしが見つけた叩ける場所は、
D氏のワークショップや、
Yさんの教室だった。

働いていたデザイン会社を辞めて、
広告制作プロダクションに
転職したのもその頃。
デザインの花形だと思っていた広告デザイン。
残業、休日出勤、徹夜は当たり前、
家に帰れてない日数が評価される業界。
ブラック会社なんて言葉はまだなかったけど、
誰がどう見ても立派なブラック会社だった。

土曜の最終電車で帰宅し、
日曜の朝にジェンべを叩き、
そのままジェンべを担いで
会社に直行することも度々あった。
終電で夜遊びに出かけていたのに、
終電過ぎても仕事が終わらない週末。
クラブ通いから自然と足が遠のいていった。

それだけ仕事に時間を割かれても、
夜遊びできなくなってもそれでも
ジェンべを叩きたい気持ちは
抑えられなかった。
というか、仕事が忙しければ忙しいほど
その反動なのか叩きたくなった。

どんなに深夜に帰宅しても
朝6時過ぎに起きて、
雨が降っていなければ8時に
近所の公園へジェンべを担いで出向き、
通学途中の小学生たちの注目を浴びながら
出勤時間になるまで練習した。
マンションの多い住宅街だったけど、
その頃はまだまだ音がヘボかったせいか
苦情は全く出なかった。

その代わりというか何というか
その公園にテント住まいをされていた
いわゆるホームレスのおっちゃんたち数名と
顔見知りになった。

ジェンべの音を面白がってくれて、
ブルーシートで器用に建てた
自慢の自宅を案内してくれたり、
朝食にとゴミ捨て場で拾ったりんごをよばれたり、
桜の季節には一緒に花見をしたり、
その人たちと公園で話している時だけ
広告業界の忙しい日々から
かけ離れた時間にいることができた。

でもある日突然、
公園の住人たちはいなくなった。
人も、テントも、家財道具も、
何もかもきれいに消えた。
まるでそこには最初から何もなかったように。
確かに最初は何もなかったんだろうけど、
おっちゃんたちがきっと何日もかけて
あれこれ工夫しながらせっせと建てた、
拾ってきた布団や
映らないテレビが自慢の我が家が
昨日の朝までここにあったはず。

たった1日で、みんな跡形もなくなった。

まだ若かったわたしには
衝撃の事実と風景だった。

わたしの息抜きの時間も
一緒に消えちゃった。

それでもジェンべと一緒の生活は
忙しなく過ぎていく。

この頃の写真はやっぱり残っていません。
それでも記憶にはしっかり残っている、
そんな出来事でした。

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