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1月, 2018の投稿を表示しています

叩きたくてたまらない #3

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やはりというか、狙い通りというか、 A村の民族楽器店は D氏のワークショップで いつも会う人にたずねると すぐに判明した。 Tカンパニーという名前で、 ジェンベ教室もやっていて、 教えてくれたその人も 何度か行ったことがあると言っていた。 教室があるとわかっただけで 早くその店に行きたくて気があせった。 次の週末、 わたしは自転車でA村へ向かった。 その雑居ビルは、 通り慣れた道にあった。 でも入るのは初めて。 路地のように細く入り組んだ通路に沿って 小さな古着屋や占いの店が 詰まっていた。 階段を登ったところに、 そのお店はあった。 しかし、扉は閉まっていた。 ノックしても返事はない。 その日は仕方なくそのまま帰り、 翌日、もう一度のぞいてみた。 今度は扉が開いていた。 象がジェンベを叩いているかわいらしい絵と 店名が書いてある看板が出ていた。 ちょっと入りにくい雰囲気の漂う入り口を おそるおそる覗いてみると 中にひとりの男性がいた。 それほど広くないお店の壁には ジャンベが数台並んでいた。 男性は覗いていたわたしに気づき、 ギョロリと大きな目でこちらを見て、 「いらっしゃいませ。」 と、ニコリともせず言った。 うわ、愛想わるっ。 看板のかわいい象さんのイメージと 全然違うし。 でも二日連続ここまで来たんだから、 聞いてみないと。 「あの、ジャンベが習いたいんですけど、、、」 「ジャンベですか?持ってるの?」 「あ、はい。いちおう。」 「そうですか。で、どのぐらいやってるの?」 「いや、まだ全然で、、、」 月に一回ワークショップに通ってるけど、 もっとやりたいこと、 自分の音がヘボすぎて気に入らないこと などを伝えると、 「毎週日曜日の10時から、 スタジオPで僕が教えています。 とりあえず一回来てみたら?」 と、お店や教室の情報がのっている パンフレットをくれた。 その人はYさんという名前で、 「僕はもともとコンガをやっていて、 最近ジャンベが人気

叩きたくてたまらない #2

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当時の夜遊び仲間の1人が A村にジャンベや民族楽器を売っている お店がある、とどこからか聞きつけて、 最近ジェンべにはまっている わたしに教えてくれた。 A村は、市内中心部にある 若者向けの店舗が集中したエリアで、 自宅から自転車で行ける距離だ。 クラブやレコード屋もいくつかあるし、 よく行く古着屋もその付近にあった。 しかしA村と呼ばれるエリアは そこそこ広い。 雑居ビルがひしめき合っていて、 店舗数も膨大だ。 その中から名前もわからない たった一軒のお店を見つけるのは、 スマホもSNSもない時代、 そんなに簡単ではなかった。 もしかしたら Dのワークショップに 来てる人の中に 知ってる人がいるかもしれないな、 と 思いながら、 次の情報を待つことにした。 そんな折、 ジェンべの演奏を生で見る機会が再びあった。 その夜は、最終の地下鉄に乗って ケン・イシイが回すパーティへ向かった。 港のすぐそばにある大型のクラブは、 すでに人でごったがえしていた。 わたしたちも何とかフロアへ入る。 ケン・イシイがプレイするその横で、 パーカッションセットを演奏する男性がいた。 そのセットの中に ジェンべが一台あったのだ。 打ち込み音で刻まれる 無機質なテクノミュージックの中で、 その男性は小動物が飛び跳ねるような 躍動感あるリズムを 様々な打楽器で叩き続けた。 打楽器の音に体温がある、と思った。 生きているようなその音と、 ケン・イシイがマシンから打ち出す 電子音とが混ざり合って、 独特の世界を作り出す。 小物楽器を打ち鳴らした後、 男性はジェンべに移った。 わたしはその人から目が離せなかった。 ジェンべを叩き始めると、 ケン・イシイの近未来的な世界観が、 一気にトライバルな色に変わった。 乾いた土の上に雨が降ってきたときの においがしたような気がした。 コンクリートで固められた都市は、 ジェンべの音に導かれて やがてジャングルへ還っていく、 そんな幻が見えた。 すごい! 打楽器ひとつの音色

叩きたくてたまらない #1

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それから半年ほどの間は、 月に一度のペースで開催される D氏のワークショップに欠かさず通った。 もちろんD氏から買い受けた ジェンべを持参して。 持参するようになってわかったが、 ジェンべを持ち運ぶのには なかなかの苦労がともなう。 大きくてそこそこ重い。 リュックのように背負ってみるのだが、 重心が上にあるジェンべの構造上、 背中で思うように安定してくれない。 肩にかけたり抱えてみたりしたが、 どれも持ちやすさはいまひとつ。 それでもこの頃のわたしは ワークショップに通うのが 何よりも楽しかった。 毎月通っているうちに、 顔見知りもできた。 Dのワークショップが 毎週あったらいいのに、 もしあったら絶対通うのに。 と、いつも思ってた。 仕事が早く終わった日や、 予定のない休日には、 四畳半の部屋で いそいそとケースからジェンべを出す。 そしてジェンべの下から スエットを詰め込み、 折りたたんだバスタオルを打面にかける。 椅子の足元に座布団を敷き、 その上でジェンべを構える。 叩くとパタパタと 全くさえない音がする。 それでも一応、ジャンベを叩いている。 家にジャンベがあるって嬉しい。 D氏のワークショップで教わったパートを 何度も叩いた。 しかしそれに喜んでいたのは ほんの短い間だった。 こうやって叩いても全然いい音が出ない。 わたしはD氏が叩いた時に出るような あの音が出したいのに。 そしてひとりで叩いても 全く気持ちが良くないことにも気づいた。 あの一体感や開放感は 自宅でひとりパタパタ手を動かしても 全く得られなかった。 そもそもわたしの叩き方は これで合ってるのかな? ヘボい音しか出ないのは 叩き方が間違っているのでは? Dのワークショップは月に一度だけ。 次のワークショップまでの間が、 とてつもなく長く不安に感じられた。 はやく上達したい。 もっと気持ち良く叩きたい。 そんな欲が生まれて初めていた。 ジャンベが習えるとこって どこか他にもないのかな? ジェンべの内側は 音の抜けをよくするため空洞になっています。 ここを塞ぐと多少の消音効果があ

ジェンべは突然やって来た #5

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今なら多分こんなことは絶対ありえない。 消費者を守ると謳われた法律もあるし、 電話の相手に苦情を申し立て、 さらに自分が納得のいく答えを 問いただすことのできる意思と図々しさを、 今のわたしは持ち合わせている。 泣き寝入りなんて絶対許さない。 だけど若くて世間知らずで気弱だった あの頃のわたしは その一本の電話で完全に撃沈してしまった。 欲しかった、欲しかったよ。 だけどこんな形で 手にすることになるとは。 安い買い物じゃないし、 もっとじっくりと、ゆっくりと、 迷いながら決めるのかと なんとなく思ってたな。 でもいいのかな。 そういうものなのかな? Dが選んでくれたって奥さんが言ってたし。 楽器屋さんにも売ってないし。 いや、でも、 このケースの柄はちょっとな、、、 アフリカ風の仮面がモチーフになった モノトーンのプリント柄。 ギニアへ何度も通い、 ギニア人と結婚までした今となっては、 その柄はすごく洒落ているとわかる。 だけどその時はギニアどころか アフリカンなデザインのものに対して 全く免疫がなかった。 無表情で並んだ仮面の絵が ただただ不気味に感じられた。 ジェンべの脚の部分には、 悩んでいるようなポーズで座っている 人物の絵が掘られていた。 その横にDのサインらしきものが書いてあった。 可愛らしいスマイルマークがついた 手書きのサイン。 Dの優しい笑顔が思い浮かんだ。 預金通帳には 先日振り込まれたばかりのボーナスがある。 勤め始めてまだ2年目だったから ボーナスの金額としては大したことないけれど このジャンベを買うには充分だった。 うん、これもタイミングなのかな。 突然うちにやって来たジャンベは、 この日からわたしの大切な相棒となった。 当時の仮面柄のケースはもう手元になく、 今思えばそこまで悪くなかった気がします。 これはニンバという名前の精霊像。 こんな目をした仮面の柄でした。 (叩きたくてたまらない #1へつづく)

ジェンべは突然やって来た #4

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四畳半の部屋に ぷーんと独特の獣臭がただよう。 部屋が狭いせいか、 ワークショップで 叩かせてもらったジャンベよりも ずいぶん大きく感じる。 この状況を理解するためにも、 まずはDに連絡してみよう。 そして、もやっと疑問に感じたことを 全部質問してみよう。 送り主の欄にある番号に電話をかけた。 数回コールすると電話がつながった。 「もしもし」 聞こえてきた声はDではなく 女性だった。 Dが出るものだと思っていたので 意表をつかれてしまった。 「あ、あの。Dさんはいらっしゃいますか?」 「どちら様ですか?」 電話の向こうの女性の声が 急に警戒心をむき出しにしたように感じた。 その声色に怖気付いてしまったわたしは、 「いや、えっと、あの、 いまDさんからジャンベが届いて、、、」 それだけ言うのに精一杯だった。 「えっ?ああ、そうなんですね。 お名前をお願いします。」 声は普通のトーンにもどった。 何なのいったい、この人?? 名前を告げるとその女性は、 「ジャンベ届きましたか? よかったですね、いいのが見つかって。 Dがあなたのために選んだんですよ。」 「えっと、あの、、」 「あ、代金は次回Dに会う時に 直接渡してください。」 「いえ、その、Dさんはいらっしゃいますか?」 わたしはまずDと話すことが 必要だと思っていた。 しかしその女性はきっぱりと言った。 「わたくしはDの妻ですが、 Dは留守にしてますので。」 話は以上だった。 獣臭がするのは、 ジェンべがヤギなどの動物の皮を使用しているから。 そこまで極端には臭いませんが、 わたしの初代ジェンべの皮はどちらかとうと 香り高い(笑)ほうでした。 ( ジェンべは突然やって来た #5へつづく )

ジェンべは突然やって来た #3

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D氏のワークショップが終わって 1週間ほどたった日曜の午後のことだった。 昨夜はドラムンベースのパーティで はしゃいでいたため、 お昼を回ったついさっき目覚めた。 雑居ビルにはさまれた四畳半の1K、 寝起きしている部屋には窓がなく、 キッチンについている小さな窓も北向き。 日差しの影響を全く受けないその部屋は、 オール明けの日に眠るのに ちょうど良かった。 のろのろと起き出して、 アパートの小さな部屋を 片付たり掃除したりしていると ふいに玄関のチャイムが鳴った。 誰か来る予定あったっけ? 外を確かめようと扉の覗き穴に近づくと、 「宅配便でーす。」と、 向こう側から声がした。 実家かな? でも荷物を送る予定なんて聞いてない。 「はい」と返事をして、 チェーンをつけたまま扉をあけると、 そこに宅配便のお兄さんが 大きめな荷物を持って立っていた。 「重いですよ。」 手渡された荷物をいったん下に置き、 よくわからないまま受け取りのサインをした。 発送者の欄にはDの名前があった。 それを見てわたしはハッとした。 もしかして、これジャンベかも? なんで? いきなりなんで?? バタンと扉が閉まり、 お兄さんが階段を駆け降りる足音が だんだん遠のいていく。 小さな玄関は呆然とするわたしと 突然現れた荷物とが、 まるで世界から取り残されたように 立ち尽くしていた。 予期せぬ突然のできごとで、 ドキドキ心臓が鼓動する。 頭の中はクエスチョンマークだらけになり 次の行動にうまく移れない。 透明なビニールでカバーされた中に エスニックな雰囲気の柄の布地が ちらりと見えた。 心臓の鼓動がさらに高まる。 落ち着け落ち着け。 とりあえず、うん、 とりあえず開けてみよう。 中から出てきたのは、 一台のジャンベと、請求書だった。 これがその実物。D氏のサインがちらりと見えてます(笑) 初めて出会った時の印象は散々だったけど、 その後長い間わたしのよき相棒でいてくれました。 そう、確かにわたしはDに ジャンベが欲しい、と言った。 それがいきなり家に送られてくるって、 なんか展開が速す

ジェンべは突然やって来た #2

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次のワークショップまでの約1ヶ月間、 仕事も何も手につかないほど 浮き足立ってそわそわしていた。 どちらかというと 熱しやすく冷めやすい性格で、 一度狙いを定めると、 目的を達成するまではどこまでも 突き進んでいくタイプのわたし。 叩いたのはまだ一回きりだけれど、 初めてジェンベを見た日に芽生えた 小さな情熱を、 これぞ運命の出会いとばかりに 燃え上がらせるには充分だった。 きっと今なら、 YouTubeとかで ジェンべがタグ付けされた動画を 夜な夜なザッピングして、 そわそわするこの気持ちを 視覚と聴覚から 満たすことができるんだろうな。 そんな手段を持ち得てなかったあの頃、 やり場のない一方的な恋心は ただただ膨らみ続けるだけだった。 募りに募った気持ちを胸に、 2回目のワークショップに参加した。 この日も1回目と同じ場所で Dたちと一緒に、 とにかく無我夢中で叩いた。 そしてワークショップが終わって それぞれ楽器を片付け始めたとき、 わたしは今だとばかりにDに声をかけた。 「あの、自分のジャンベが欲しいんだけど、、」 ジャンベをケースにしまっていたDは わたしの方に顔を向けた。 「オッケー、じゃあ探してあげる。 これに住所と電話番号、書いて。」 Dが差し出した紙に 何も考えず自分の連絡先を書いた。 今のわたしなら、 なぜ連絡先をいきなり教える必要があるのか 経年で備わった危機管理能力から 警戒すべきだとアラートが鳴るはず。 でもまだ若かったあの頃のわたしは その後に起こる出来事を 予測することなんてできなかった。 (ジェンべは突然やってきた#3へ続く)

ジェンべは突然やって来た #1

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初めてジャンベという打楽器を叩いてから いろんなことに気づいた。 寝ても覚めても ジャンベことばかり考えていた。 見るのと叩くのは全然違うこと。 手のひらが痛気持ちよく、 じーんんとすること。 その場にいるみんなとの一体感が 心地よかったこと。 それよりもさらに 叩き終わった後の意外な開放感が 例えられない心地さだったこと。 思考の外側を覆っていた 薄い膜のようなものが ジャンベを叩いていると だんだん融けていって、 目の前が広くクリアに見えること。 そして、 手が思うように動かないこと。 右左交互に叩く。 これはなんとかできる。 でも少し複雑な手順になると、 わたしの反射神経は全くついていけない。 D氏の手のように、 すばやく自由自在に操るには かなりの練習量が必要そうだ。 音も全然違う。 身体と心の中を突き抜けていくような 強烈な音は出せなかった。 「練習を1日サボると取り戻すのに3日かかる。」 中学時代、吹奏楽部の顧問が、 脅し文句のようによく言ってたっけ。 毎日やっていても3日かかるのに、 1回だけしか叩いたことのないわたしが 上達するにはどうしたらいいの? 次のワークショップは 約1ヶ月後。 それまでジャンベを叩けないなんて。 練習したいな。 もっと叩きたいな。 でも、どうやって? Dのワークショップに 参加していた人たちのことを思い出す。 わたしのように借りてた人もいたけど、 持参してた人もいた。 ということは、その人は 自分のジャンベを持ってるんだ。 もし自分のジャンベがあれば、 好きな時にいつでも練習できる。 でもどこで買えるの? 楽器屋さんかな? そういえばワークショップの時、 Dからジャンベを買ったっぽい人がいたな。 Dに聞いたらわかるのかな? 2007.2 ギニアでのレッスン中。 この記事とはあまり関係のない写真ですが、 わたしがジェンべを叩いていた証拠となる(笑) 数少ない1枚。 (ジェンべは突然やって来た#2へつづく)

ジェンべと出会った頃のこと #7

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「はい、それじゃあさいしょは、こうね。」 Dは背筋を伸ばし、 ジャンベの打面のふち近く、 中心を挟んで左右対象に 手のひらを軽く置いた。 全員が同じような姿勢になる。 わたしも見よう見まねで 手を置き、 背筋を伸ばしてみた。 「みんなわたしの手を見て。 おなじようにうごかすよ。 せーの。」 右手と左手を交互に上下させて 手のひらを皮に打ちつける。 すると、 バッタ、バッタ、バッタと、音が ゆっくりしたテンポで鳴りはじめた。 ひとりひとりが叩いて出す 大小高低いろんな音の粒が集まって、 大きなひとつの塊になる。 意識はその塊に向かって集中する。 塊は、 揃ったり乱れたりしながら リズミカルに行進していく。 わたしもその列についていこうと 無心で手を動かした。 行進はだんだんと 速度を増していく。 手の動きが早まるのに合わせて 身体が熱を帯びてくる。 ゆっくり歩き始たのに、 かけ足ぐらいのテンポにまで スピードが上がっていた。 でも行進はまだ止まらない。 どこまで行くの? 待って、待って! やがて行進の列が徐々に 足並みを乱し始めた。 音の粒は加速に耐えられず、 力を失っていく。 キツそうな表情の人、 手を動かすのをあきらめた人、 ひとつの塊になっていた意識が、 それぞれの場所に帰っていく。 「はーい、やめて。」 Dの声で音が完全に止まった。 これだったんだ。 初めてジャンベをみた あの夜 の音の渦は。 こうやって みんなで並んで行進して、 渦を作ってたんだ。 わたしはいま その渦の中のひとつの音だった。 自分の音が どんな音だったのか、 本当に出ていたのかどうかは よくわからなかった。 でも叩き終わった爽快感だけは 半端なく残っている。 気づくと手のひらがジーンと痺れていた。 全体が見た事ないほど 赤くなっている。 その痺れが、心地良かった。 叩いたよ、と手のひらが言っていた。 ワークショップは 約90分間続いた。 その間、

ジェンべと出会った頃のこと #6

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初めてジェンべを叩く日は、 それから数日後に訪れた。 でも実は、その時の事を あまりよく覚えていない。 日記やメモに残した形跡もない。 なぜかぽっかり抜け落ちている。 多分、あのカフェの出入り口のその場で ワークショップへ行くことを即決して、 フライヤーを手渡してくれた人に 「行く」と伝えたと思う。 そしてわたしは、 そのフライヤーを手に当日、 会場へ向かったんだと思う。 いよいよジャンベにさわれるんだ。 楽しみだけど、不安もある。 そもそもワークショップって なんだろう? 難しい? 初めてでも大丈夫って言ってたけど、 どんなことするの? ワークショップへは、 一人で向かった。 Aはそれほど興味がなさそうだったし、 よくわからないことに 誰かを誘うのは気が引けた。 会場は、公共施設の中の一室だった。 開始時間よりも少し早く着いた。 室内では、 わたしより少し年上と思われる 女性が数名と、 あのドレッドヘアの人が パイプ椅子やジェンべを並べて ワークショップの準備をしていた。 「受付こっちです。」と 一人の女性がわたしの方を見て言った。 その人は緊張で固まっていたわたしに、 親切にいろいろ説明してくれた。 ドレッドヘアの人はDという名前だった。 Dは東京に住んでいて、 こうして時々各地をツアーしながら ジャンベの演奏をしている、 とのことだった。 受付を済ませ、あいている席に座る。 「彼女に、そこにあるジャンベを 貸してあげて。」 Dがそう言うと、 部屋のすみに置いてあった 数台のジャンベの中の一台を、 受付をしていた女性が わたしの前へと運んできてくれた。 これが、ジャンベ。 思ったより大きくて、 ずっしりしている。 脚がついたワイングラスを 太く短足にしたような独特の形。 誰かが大樹から この形を切り出したような、 人の手仕事感が胴に残っている。 木目が何重にも重なっていて、 この木が生きていた長い年月が 波打つような模様を描く。 胴の中央部あたりには、 何本ものロープが 縦横にピンと張ってあり、 太い網目状になっていた。 叩くとこ

ジェンべと出会った頃のこと #5

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演奏はものの数分ですぐ終わった。 わたしたちがカフェに入ったタイミングは、 すでに今夜のライブの エンディングだったらしい。 観客の拍手が続く中、 黒い肌に汗を光らせながら 流暢な日本語で 「ありがとう、また会いましょう!」 と言うと、彼らは楽器と一緒に その場からから消えた。 カフェはいつもの、 スパイスの香りがゆるりと漂う 穏やかな空間にもどった。 ドリンクや食事を すでに終えた人たちが、 ライブの終演をきっかけに 次々と席を立つと、 店内には人がほとんど残ってなかった。 閉店時間までまだ時間があるはずだけど、 今からオーダーするお客は、 どうやらわたしたちだけっぽい。 遠慮がちにカレーとチャイを注文し、 タバコに火をつけて Aと二人でぼんやりと 食事が出てくるのを待つ。 「あの人たち、何人かな?」 わたしが言うとAは、 「アフリカっぽくない?あのカンジは。」 と答えた。 アフリカ、言われてみると そんな気がする。 だけど正直なところ、 今までアフリカらしきことに 全く接点がなかったせいか、 どこがどうアフリカっぽいのかは よくわからなかった。 だけど、その音とリズムは 相変わらずわたしの中に残っていて 初めてジャンベを見たあの時よりも さらに大きな存在になっていた。 カレーを食べ終え、 カルダモンの香りがツンと立つ 温かいチャイを飲み干し、 まだ耳の奥に残るジャンベの音を たぐり寄せるように思い出しながら、 古木の扉を再び通り抜け 地上へのびる階段に足をかけた。 階段を見上げると ビルの出入り口の狭いスペースで、 誰かが立ち話しをしていた。 後ろ姿しかみえないけれど、 日本語ではない言葉で 楽しげに会話しているのが聞こえる。 演奏していた3人だと わたしはすぐに気づいた。 地上に出るには、 どうしても彼らの前を 通らなければならない。 この辺に住んでる人たちなのかな? あの太鼓の名前、 ジャンベで合ってるか 聞いてみようかな? でも日本語で話しかけて 通じるのかな? 彼らがいる出入り口は 一段一段、 徐々に近づいているのに 話しかけるかどうか 決心できないままだった。 すぐそばまで来た時、

ジェンべと出会った頃のこと #4

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地下1階にあるアジアンカフェの店内に、 乾いた太鼓の音が鳴り響いていた。 太くて低い音がゲゲンゲゲンと リズミカルに流れているその上に、 ピリンッ、パランッ、と 高い音が鋭く突き抜ける。 その音を聞いたとたん、 お腹の真ん中のあたりがキュッとなった。 そして全身の毛がぞわっと逆立つ。 一瞬で身動きが取れなくなった。 わたしの横でAも固まっている。 何この圧倒的な迫力は。 お店の人がステージ横のカウンターで、 扉を閉めるように身振りで促すのが見えた。 我に返ったわたしとAは、 あわてて中に入り、 静かに空いている椅子に着いた。 鋭い高音を鳴らしているのが ジャンベだった。 見るからに屈強な男の人が2人、 ジャンベを肩からぶら下げるように 担いで叩いている。 筋肉質な長い腕。 その動きは大きくてしなやかで、 野生動物のように素早い。 手元から飛び出る音の粒は 機関銃の弾丸のように高速で連なって、 永遠に続いていくかのようだった。 歌のような、会話のような、 そんな風にも聞こえた。 見た目は和太鼓のような大太鼓を 床にごろりと寝かせて、 座ったままバチでそれを 打っている人も一人いた。 聞こえてくる低音部分は、 どうやらこの人が担当しているっぽい。 演奏していたのはその3人。 そして3人とも 日本人ではなさそうだった。 黒い色の肌に、 原色使いが鮮やかな独特の民族衣装が 美しいほどに映えている。 ドレッドヘアは肩よりも長かった。 打楽器だけの構成って、 初めて見たな。 リズムだけなのに、 でもちゃんと音楽だよね。 不思議だなぁ。 ジャンベって本来、 こういう民族楽器なんだね。 そのあたりのことは 演奏が全て終わって 自宅に戻ってから思い返して 記憶のかけらをつなぎ合わせた。 演奏中はジャンベの音に射抜かれて、 そんなこと何も考えられなかった。 ただひたすら興奮していた。 (ジェンべと出会った頃のこと #5へつづく)

ジェンべと出会った頃のこと #3

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初めてジャンベという楽器を 目にしたあの日以来、 ジャンベのことが 何だか気になって仕方がない。 というか、 名前は「ジャンベ」だったっけ? 本当にそうだったのかどうか それさえもあやしいぐらいの 頼りない記憶だった。 でもあの音とリズムの渦が、 わたしの気持ちを ぎゅっと掴んで離さない。 それだけは間違いなかった。 もう一回、名前を確認したいな。 そしてわたしもあんな風に 叩いてみたいんだけどな。 もし名前を多少間違えていたとしても、 今ならスマホで検索すれば それが何なのか、どこにあるのか、 ものの数分でわかるはず。 でもあの当時はまだ そんな環境はなかった。 気になっているけど、 どこの誰だかわからない。 例えば通学途中の駅、 反対側のホームの 人ごみの中で見かけた人に 恋してしまうような、 そんな感じに似ている。 探しても見つけ出せない、 近づきたくても 近づけない存在だった。 そんなある日、 夜遊び仲間の一人、Aと 近所の老舗アジアンカフェへ 夕食をとりに出向いた。 チャイの美味しいそのカフェは、 お寺が立ち並ぶ路地へ 少し入ったビルの地下で、 いつも密やかに営業していた。 グリーンやエスニック雑貨で飾られた 穏やかで雰囲気のよい階段を トントンと降りていくと、 年季の入った古木で作られた 大きな扉が出迎えてくれる。 階段を降りきる前に店内から 何か楽器らしき音が聞こえてきた。 ああ、今日はライブの日だったんだ。 今入ったらチャージとられるかな、 なんて考えていたら。 むむ、この音は?このリズムは? 重い古木の扉をそっと開けて、 中を覗いてみる。 ステージは、 今わたしが立っている入り口の真正面。 もともと薄暗い店内だけど、 今夜はそこだけライトが少し明るい。 その明かりの下で、 ドレッドヘアを振り乱しながら パーカッションを 演奏している人たちがいた。 ジャンベだ! ( ジェンべと出会った頃のこと #4へつづく )

ジェンべと出会った頃のこと #2

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大学を卒業して、 デザイン会社で働いていたあの頃、 自由にできる時間とお金を 気の合う仲間と一緒に 夜遊びに費やしていた、 90年代の終わり頃。 その日は その当時盛り上がってた レイヴ系のイベントだった。 雑居ビルが立ち並ぶ一角の 小さなビルに入る。 エントランスを抜けると、 小さくて細長いフロアが 地上3階地下1階に分かれている。 フロアごとに雰囲気が違っていて、 わたしのお目当ては 最上階のドラムンベースフロア。 そこへ行くため、 梯みたいに急な傾斜の細い階段を、 気をつけながら上がっていくと ドコドコドコドコと、 何かを一斉に叩いてる音が聞こえてきた。 その音のするフロアは2階。 ちょっと興味がわいたのでのぞいてみると、 竹やロープでデコレーションされた 抽象的なオブジェが、 薄暗いブラックライトの照明に ぽわんと浮かび上がる部屋の中で、 10人ほどのの男女が 輪になって太鼓を叩いていた。 大きさは大小あったけど、 みんな同じようなフォルムの太鼓を 素手でポコポコ叩いていた。 丸い打面を足で挟むようにして座り、 ひたすら叩く人たち。 打面がブラックライトに照らされて、 青白く浮かび上がる。 わたしはその様子を 何の気なしに見ていた。 それぞれ1人づつが叩いて出している音が 重なって厚みを増していくと、 それはひとつの渦になって うねりながら広がっていく。 気づいたら、 その渦に持って行かれてた。 渦はうねるようにぐるぐる回って わたしの身体にまとわりつく。 そして心地よいリズムで揺れながら 何かに導かれるように 上へ上へと登って行く。 足元がふっと軽くなるような気がして、 鳥肌がゾワっと立った。 何だこの感覚は? おもしろーい! 音が止んだ時、 近くで叩いていた女の子に 「それ、なんていう楽器?」 って思わず声をかけた。 「これ?ジャンベよ。」 ジャンベ、ふーん。 (ジェンべと出会った頃のこと #3へ)

ジェンべと出会った頃のこと #1

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ジェンべを初めて見たときのことは、 今でもよく覚えている。 あの頃のわたしは、 どこかのクラブのスピーカーの前で 週末を過ごすことが多かった。 テクノ、 ドラムンベース、 ハッピーハードコア、 レゲエにダブ。 どちらかというと アンダーグラウンドな雰囲気が 好きだったし、 そういうパーティは毎週末 どこかでやっていた。 SNSなんて言葉も知らない時代、 レコードショップや クラブに置いてある フライヤーを頼りに、 気の合う仲間と あちこち出歩いてたっけ。 クラブの扉の内側は、 外の世界と 完全に切り離された密室。 埃と煙と酒、 そして人いきれ。 いろんなにおいが混ざって 澱んだ空気が、 鼻の奥をザラザラにしながら 通り抜けて身体に入ってくると、 気持ちのスイッチが 非日常モードへ切り替わる。 DJが指先で操るマシンから、 次々と現れる四つ打ちバスドラムの音。 それに合わせてVJが ハイスピードでシーンを切り替えていく。 煙でかすんだ薄暗いフロアには、 ゆらゆらと揺れる人たち。 その中に、きゃっほー! と奇声をあげて飛び混んでいく。 巨大なスピーカーから這い出て ブンブンとうなる低音を 朝になるまで浴びて浴びて、 浴びまくって。 開放感と多幸感で満たされ、 身体をゆらゆらさせながら、 別世界へトリップする。 この瞬間を体験してるわたしは、 すごく特別な存在なんだと 思っていたなぁ。 夜が明ける。 エントランスの扉は、 まだ爆音の鳴り続けてる密室と 外の世界との境界線。 それを超える瞬間、 再び日常モードへと 気持ちのスイッチを切り替える。 そしてまるで何もなかったかのように まだほとんど人が乗ってない 週末早朝の地下鉄の中、 ちんまりと座って いい子に帰宅して眠るのです。 (ジェンべと出会った頃のこと #2へ)

わたしとおっと。

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【このブログの登場人物のおはなし。】 このブログで綴っていくお話には、 2人の主要人物が出てきます。 ひとりめは、わたし。 結婚し、 アトリエワリババを始めてから、 そのご縁でたくさんの方と出会いました。 多分、そのほとんどの方が わたしがジェンべを叩いているところを 一度も見たことがないんじゃないかと 思います。 でも実は、 かなり本気で叩いてた時期がありまして。 どのぐらい本気かというと、 叩きたいがために ギニアへ通っちゃうぐらい、です。 初めてジェンべを叩いた日から、 がっつりハマってた時期を通りながら、 紆余曲折しつつ今に至る訳です。 そういったあたりの わたしのことについては、置いといて。 (追々お話の中に出てきますので) ふたりめは、ダビット・シラ。 わたくしの夫です。 ギニア共和国出身、2013年に来日。 初の海外が日本でそのまま移住という、 なかなか思い切った人です。 本職はジェンべ奏者&リペアマン。 でもその職業で家族みんながご飯食べるのって やっぱり簡単なことではないので、 日本では他のお仕事もそれなりにやってます。 このブログでは、 夫、おっと、ダビット、ダビちゃん などという名前で出てくるかと思います。 妻のわたしが言うのも何ですが、 夫はとてもよくできた人でして。 優しくて、責任感が強くて、真面目、温厚。 細かいことにこだわらない性格だけど、 お掃除は丁寧できれい好き。 おやつを与えすぎる傾向はあるけれど、 子供のお世話はわたしより得意。 連絡事項から日々の愚痴まで 共感度は低くても わたしの話に傾聴してくれ、 手抜きの夕食でも「おいしい」と食べて、 食後の片付けを自らやる。 はい、もうね。 いろいろと全体的に雑なわたしには もったいないほど よくできた旦那です! 6年もの遠距離恋愛だって、 不満ひとつ言わず耐えました。 忍耐力もかなりあります。 そして何より、 ギニアのあの過酷な環境で育った人ですから、 生きる力というか、生命力というか、 たくましさのレベルが、

ごあいさつ

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【はじめまして、ヨーコ・シラと申します。】 愛するギニア人の夫と ハーフっ子なひとり娘と一緒に こんなことをやっている 生まれも育ちも日本な主婦でございます。 広島のジェンベ教室&工房「アトリエワリババ」 このブログは、 独身アラサーだった当時のわたしが、 勤務していた会社の倒産で無職になり、 時給800円極貧バイト生活をしながら旅に出て、 最終的には ギニアで国際結婚をするに至ったまでのお話しを ほぼノンフィクション で まとめていく(予定の)ブログです。 個人のプライバシーに関わる部分や わたしの記憶が怪しい部分には脚色が入りますが、 大きく異ならない程度(になる予定)です。 当時の日記や旅行メモなどを見返していると、 まぁほんと、我ながらよくやってたなと、、、 ジェンベやバラフォンなどの 音楽レッスンを本場で受けるため、 ギリギリ綱渡りの予算で 年に1度の弾丸アフリカ旅行。 しかもそれを足掛け6年も続けてただなんて、 どれだけジェンベが 好きだったんでしょうね(笑) 遠距離恋愛中の 盲目的な勢いもあったとは思いますが、 それにしても。 結婚して家庭を持ってたり、 やりがいのある仕事に邁進してたり、 世間が求める30代の 社会的立場路線からは完全にドロップアウト。 時給800円のバイト暮らしで細々としのぎつつ、 節約に節約を重ねて貯めたお金で 年に1度、ギニアへ飛ぶ。 今じゃもうそんな生活は絶対にできないです。 自由だったなぁ。 自分のやりたいことのためだけに、 全てを費やすことができたなぁ。 ああ懐かしい、、、 ここ数年は家事・育児・仕事の三つどもえで、 日々時間との戦い、 外出ひとつ自由気ままにできませんからね(笑) でも。 またあの頃のようにやりたいとは思わないです。 だって、今の方が絶対幸せだもん。 貧乏節約生活は相変わらずだし、 あんな自由さもないし、 高齢出産からの 高