ジェンべと出会った頃のこと #6


初めてジェンべを叩く日は、
それから数日後に訪れた。
でも実は、その時の事を
あまりよく覚えていない。
日記やメモに残した形跡もない。
なぜかぽっかり抜け落ちている。

多分、あのカフェの出入り口のその場で
ワークショップへ行くことを即決して、
フライヤーを手渡してくれた人に
「行く」と伝えたと思う。

そしてわたしは、
そのフライヤーを手に当日、
会場へ向かったんだと思う。

いよいよジャンベにさわれるんだ。
楽しみだけど、不安もある。
そもそもワークショップって
なんだろう?
難しい?
初めてでも大丈夫って言ってたけど、
どんなことするの?

ワークショップへは、
一人で向かった。
Aはそれほど興味がなさそうだったし、
よくわからないことに
誰かを誘うのは気が引けた。

会場は、公共施設の中の一室だった。
開始時間よりも少し早く着いた。
室内では、
わたしより少し年上と思われる
女性が数名と、
あのドレッドヘアの人が
パイプ椅子やジェンべを並べて
ワークショップの準備をしていた。

「受付こっちです。」と
一人の女性がわたしの方を見て言った。
その人は緊張で固まっていたわたしに、
親切にいろいろ説明してくれた。

ドレッドヘアの人はDという名前だった。
Dは東京に住んでいて、
こうして時々各地をツアーしながら
ジャンベの演奏をしている、
とのことだった。

受付を済ませ、あいている席に座る。
「彼女に、そこにあるジャンベを
貸してあげて。」
Dがそう言うと、
部屋のすみに置いてあった
数台のジャンベの中の一台を、
受付をしていた女性が
わたしの前へと運んできてくれた。

これが、ジャンベ。

思ったより大きくて、
ずっしりしている。
脚がついたワイングラスを
太く短足にしたような独特の形。

誰かが大樹から
この形を切り出したような、
人の手仕事感が胴に残っている。
木目が何重にも重なっていて、
この木が生きていた長い年月が
波打つような模様を描く。

胴の中央部あたりには、
何本ものロープが
縦横にピンと張ってあり、
太い網目状になっていた。

叩くところは動物の皮かな?
触ると少しザラっとしていた。
獣の臭いが
指先にわずかに残った。

ジェンべは、無機質な公共施設の一室に
全く似合わない風貌をしていた。
まるで山奥の深い森の中で捕らえられ、
無理やり文明社会に連れてこられた
野生動物のようだと思った。

その後も数人の人が会場に入ってきた。
受付をすませた人から席に着き、
ジェンべをケースから出したり、
隣の席同士で談笑したりしていた。
わたしを見て「あら、新入りさん?」
と、こちらに話しかけている訳でもなく
ただ口にしただけな人もいた。

男女合わせて6、7人ぐらいいたと思う。
「もしかして、
今日初めてきたって人はわたしだけ?」
そう気づいたとたん、
わたしにはその場にいる人全員が、
わたしよりはるか前方を
歩いている先人のように感じ、
ここに一人で来たことを
少し後悔する気持ちが芽生え、
全身がぎゅっと縮こまってしまった。

目の前の、
今日わたしが叩く予定のジャンベが
醸し出している野生的な存在感と、
周囲の人々の雰囲気に、
この場に慣れていないわたしは
どうしたらいいのかよくわからず、
目の前のジャンベを
無意識にじっと見つめていた。


「いいね、それ。うん、やっぱりいいよ。」
Dの声が聞こえて、
視線をジャンベからそちらに動かした。
Dが「いい」と言っているのは
一人の女性の前にあるジャンベのことらしい。
「最近入荷した中で
これがいちばんいいジャンベだから。
ラッキーだったね。」
「ほんとに?よかった。
叩くのがすごく楽しくって。」
するとDは、左手でジャンベを支えて
右手を打面の端の方に振り下ろし、
カンッとひとつ大きな音を鳴らした。
わたしはその音にハッとした。

そうだった、
わたし、今からジャンベを叩くんだ。
あの音、
あの気持ちいい音を出してみたい。

全員がジャンベを持って椅子に座ると、
Dも自分のジャンベと一緒に
席についた。
「それじゃ、はじめようか。」

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