ジェンべ・フォラとの遭遇 #1


当時のわたしって、
ジェンべが好きで教室にも通っていたけれど、
楽器自体には全く無関心だった。
例えば釣りが好きな人は
釣りたい魚を釣るために道具にこだわるだろうし、
料理が好きな人は
包丁や鍋などの調理道具にまで気を使うんだと思う。

ジェンべは好きだったけど、
ジェンべのことは知ろうとしなかったわたし。

というか、叩くという行為そのものが楽しすぎて、
そっちのことは気にしてなかったというか。

ジェンべよりもむしろ、
布を買ってきて作るかどうか悩むほど
不気味に並んだ仮面柄のケースを
どうにかしたいと画策していたほどで。

なんておばかさんだったんでしょうね。
ケースよりも中身でしょ。
教室に通っていて、ジェンべ仲間もいるんだから、
知るチャンスはきっとたくさんあったはずなのに。

今ならよーくわかる。
ジェンべという楽器が、
どこで生まれて、そこでどのように愛されていて、
音やリズムは楽器の持つ歴史や文化的背景と
密接な関係があって、
それを知って、感じることで、
さらにジェンべの魅力が深まること。

そしてそれらは、
自分から手を伸ばして知ろうとしなければ
近づいてきてはくれないこと。

だってジェンべは、
生まれも育ちも完全完璧に日本なわたしにとって、
よその国の文化、いわゆる異文化なのだから。
どんなに好きでも、
ジェンべの国の遺伝子はわたしにはない。

本当に今だったら、よくわかるから。
あの頃のわたしに会えるなら、
もっとそういうことも勉強しろと言ってやりたい。

アトリエワリババを名乗ったり、
教室でダビットのアシスタントとかやってる
今日この頃ですが
初心者の頃なんてまぁこんなもんでした。

そしていまここでもうひとつ白状すると、
この時点では、ワークショップに数回通ったD氏の
出身国がどこなのかすら知らなかった。
もしかしたら言ってたかもしれないけど
全く覚えていなかった。
D氏から購入した自分のジェンべが
ギニアで作られたものだったと知るのは
まだ後のことだった。

そんな大事なことわからなければ
普通聞くだろ?、って思うんだけど、
それでもあの頃のわたしは
気にしてなかったのだから仕方ない。

なので当然のように
ママディ・ケイタと言われても
その当時は誰のことやら
それが人名なのかどうかさえも
さっぱりわからなかった。

そんなわたしをみかねてか、
教室仲間の一人がママディさんの音源を
カセットテープにダビングしてきてくれた。
まだテープが現役だったこの当時、
A面B面通して一気に聞いてみた。

しかし、なんのこっちゃ意味がわからなかった。

確かにジェンべの音はしてる気がする。
でもたくさんの太鼓の音が折り重なるようにして
いっせいに鳴っているせいか、
どこがテンポのアタマになるのかが全くとれず
気持ちと身体がついていかない。
太鼓の音がありすぎて、
ママディ・ケイタって人が叩いている音が
どれなのかもさっぱりわからない。

うーん。
教室仲間のみんなは、
ママディ・ケイタはすごい人だって言ってたけど。
このテープを聞いただけじゃ、
わたしにはすごさがよくわかんないな。

でもまぁ、Yさんが
ジャンベやるなら絶対行っといた方がいい
って言ってたし。

と、叩くことだけには前向きで貪欲なわたしは
ママディさんのワークショップへ行く気になっていた。

録音がカセットテープならば、ビデオはVHSの時代です。
ママディさんのレッスンビデオは何度も繰り返し見たバイブル的存在。
初級編なんてケースが割れてすでにボロボロです。
写真右は中級編のビデオ、こっちはまだきれいだった。
そして左は後に発売されたDJEMBE KANのビデオ、
購入時にママディさんのサインをいただきました。ミーハーです(笑)

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